豊臣秀吉

尾張国出身、1536年(天文5年)生まれ。百姓・足軽だった木下弥右衛門となかの子として生まれ、幼名は日吉丸。15歳頃に家を出て今川氏の陪臣・松下之綱に一時仕えた後、1554年頃から織田信長に仕え始めた。

天下統一への道

1582年、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しで畿内に戻り山崎の戦いで光秀を破った。以後、賤ヶ岳の戦い(1583年、柴田勝家を破る)、小牧・長久手の戦い(1584年、対織田信雄・徳川家康)を経て実権を掌握。1585年に関白に任官し、四国征伐・九州征伐で勢力を拡大した。

関東・奥羽の大名間の私闘を禁じる惣無事令を発した後、北条氏政氏直父子が名胡桃城事件でこれに違反したとして小田原征伐(1590年)を敢行し、後北条氏を滅ぼして天下統一を完成させた。

主要政策

  • 太閤検地 — 1582年の山城検地を皮切りに全国で統一基準の検地を実施。農地を測量し、耕作者を年貢負担者として登録する「一地一作人」の原則を確立し、年貢徴収を明確化した。
  • 刀狩令(1588年) — 農民・寺社から刀・槍・鉄砲などの武器を没収し、農民と武士の身分を分離する兵農分離を進めた。
  • 身分統制令(1591年) — 武士・町人・農民の身分固定を図った。

これらの政策の多くは江戸幕府に継承され、近世封建社会の基礎を築いたとされる。

晩年

1598年(慶長3年)没。晩年には朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を行っている。

出典

#戦国時代

作成日時: 2026-08-15 10:21 / 更新日時: 2026-08-15 12:09