北条氏康
後北条氏3代当主。「相模の獅子」と称され、河越夜戦での勝利や検地・税制整備により後北条氏の全盛期を築いた。父は北条氏綱、子は北条氏政。#戦国時代
家督継承
永正12年(1515年)誕生。天文10年(1541年)7月17日、父・氏綱の死去により第3代当主となった。
河越夜戦
天文15年(1546年)、扇谷上杉朝定・山内上杉憲政・古河公方足利晴氏の連合軍(約8万とされる)に河越城を包囲された。氏康は城内の北条綱成と連携して夜襲を敢行し、これを撃破。上杉朝定は戦死し、扇谷上杉氏は滅亡した。桶狭間の戦い・厳島の戦いと並び「日本三大奇襲(夜戦)」の一つに数えられる。
統治の業績
- 天文19年(1550年): 「公事赦免令」を発令し、領国全域で税制改革を実施。
- 永禄2年(1559年): 検地を指示し、家臣団の所領を記録した『小田原衆所領役帳』を作成。
- 発給文書に虎の印判(虎の意匠の印章)を用い、効率的な行政運営を行った。
- 小田原城下町の大規模な都市開発を進めた。
対外抗争
- 上杉謙信との抗争(1560〜1569年): 永禄3年(1560年)に謙信が関東へ侵攻し小田原城を包囲したが、堅固な籠城と謙信側の兵站の困難により撤退させた。
- 武田信玄との抗争(1568〜1569年): 甲相同盟破綻後、三増峠の戦いなどで対峙。
- 越相同盟(1569年): 武田氏との対立を背景に、宿敵だった上杉謙信と同盟を締結。
没年
元亀2年10月3日(1571年10月21日)死去、享年57。子の氏政への家督移譲後も12年間、共同統治の形で実権を握り続けた。