小田原評定
「長引いて容易に結論の出ない会議・相談」を指す慣用句。天正18年(1590年)の小田原征伐の際、籠城する後北条氏方が籠城か野戦か、のちには降伏交渉をめぐって議論を重ねたという故事に由来する。#戦国時代 #故事成語
通俗的な逸話
豊臣秀吉に小田原城を包囲された北条方が、徹底抗戦(籠城・野戦)か和睦・降伏かで意見がまとまらず、いたずらに時間だけが過ぎたという話として広まっている。この「なかなか結論が出ない会議」のイメージが、現代の慣用句としての用法の元になっている。
史実としての評定衆制度
これとは別に、後北条氏には月2回開かれる重臣会議「評定」があり、評定衆と呼ばれる重臣たちが行政上の諸事を合議で決定する統治機構として機能していた。この合議制は北条五代・約100年にわたる家中の安定に寄与し、家臣の離反がほとんど無かった一因ともされる。
逸話と史実のズレ
「結論が出ない会議」という通俗的なイメージは、江戸時代の『関八州古戦録』『松屋筆記』など18世紀の書物を通じて広まったもので、実際の史料からは天正18年1月と6月の2度、北条方が明確な結論(開戦方針、降伏方針)に達していたことが確認できるとされる。つまり「小田原評定=優柔不断の象徴」という通念は、後世の脚色・後付けの側面が大きい。