北条氏政

後北条氏4代当主。歴代当主の中で最大の版図を築いたが、小田原征伐で滅亡を迎えた当主でもある。#戦国時代

家督継承まで

天文7年(1538年)、3代当主・北条氏康の次男として誕生。天文21年(1552年)頃に兄・氏親が夭折したため世子となり、天文23年(1554年)までに元服。永禄2年(1559年)12月、氏康から家督を譲られ4代当主となったが、しばらくは氏康が実権を握った。

同盟関係の変遷

天文23年(1554年)、今川義元・武田信玄・氏康による甲相駿三国同盟が結ばれ、氏政には信玄の娘・黄梅院が嫁いだ。その後同盟は破棄され越相同盟(上杉氏との同盟)を結ぶ時期を経て、元亀2年(1571年)12月の氏康死後、武田信玄との甲相同盟を復活させた。

御館の乱への対応

天正6年(1578年)の上杉謙信死後に起きた上杉家の家督争い「御館の乱」では、養子に出していた上杉景虎(氏政の弟)を支援するため、天正8年(1580年)にかけて弟たちを越後へ派遣した。

対外戦争と領土拡大

父の後見のもとで上杉謙信・里見義弘らと戦い、北関東にも勢力を拡大。関東における上杉氏の勢力をほぼ一掃し、後北条氏歴代当主の中で最大の版図を築いた。

最期

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐を受け、約3ヶ月にわたり小田原城に籠城した末に降伏。7月11日、弟・氏照とともに切腹した。享年53。家督は既に子の氏直に譲っていた(天正8年)。

出典

作成日時: 2026-08-15 09:27 / 更新日時: 2026-08-15 10:21