伊能忠敬
江戸時代後期、日本全国を実測して初めて精度の高い日本地図を作り上げた測量家(1745年-1818年)。#japan #history
生涯
上総国(現・千葉県九十九里町)出身。18歳で下総国佐原(現・千葉県香取市)の伊能家に婿養子として入り、酒造業・米穀取引などの家業を発展させた後、50歳で家督を息子に譲って隠居した。
隠居後の1795年、江戸に出て幕府天文方の高橋至時(たかはし よしとき)に師事し、天文学・暦学・測量術を学んだ。55歳から71歳で亡くなるまでの17年間に10回の測量旅行を行い、日本全国の海岸線を歩いて測量した総距離は約4万kmにおよぶ(地球一周分に相当する)。
測量の動機
忠敬が測量を始めた直接の目的は、地球の大きさ(子午線1度の距離)を知ることだったとされる。当時、地球の大きさを正確に測る方法として、異なる緯度間の距離を実測して比較する手法が知られており、蝦夷地(北海道)への測量旅行はその第一歩として企画された。結果として得られた実測データが、そのまま精密な日本地図の作成に繋がっていった。
大日本沿海輿地全図
忠敬は地図の完成を見ないまま1818年に没し、弟子の高橋景保(至時の息子)らが作業を引き継いで1821年に完成させた。「大日本沿海輿地全図(伊能図)」と呼ばれ、縮尺別に大図(全214図)・中図(全8図)・小図(全3図)から構成される。現代の測量・衛星写真による地図と比較しても、沿岸部の形状はほぼ一致する精度を持つ。
シーボルト事件
伊能図は国防上の理由から国外への持ち出しが禁じられていた。1828年、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが伊能図の写しなどを国外に持ち出そうとして発覚し、国外追放処分となった(シーボルト事件)。この事件は、伊能図がそれだけ軍事的にも価値のある精度を持っていたことを示している。