ローマ字運動

日本語表記をローマ字化しようとする運動。明治期から昭和にかけて、漢字廃止論・かな文字論と並ぶ「国語国字問題」の一潮流として展開された。

初期の提唱(1869-1874年)

南部義籌が1869年に「修國語論」でローマ字採用を提唱し、1874年には西周が「ローマ字国字論」を展開したが、いずれも実現しなかった。

羅馬字会とヘボン式・日本式の対立(1885年-)

1885年、矢田部良吉・外山正一らが「羅馬字会」を創設し、ヘボン式ローマ字を採用した。これに対し物理学者の田中舘愛橘は、五十音図に基づいた体系的な綴り方(後の日本式ローマ字)を提案したが採用されず離脱。ここからヘボン式派と日本式派の対立が始まった。田中舘は日本の国際的地位向上を見据え、日本文化と欧米との橋渡しの手段としてローマ字を推進した人物。日本式は田丸卓郎とともに整理・体系化され、明治から昭和にかけて約50年をかけて音韻論的にも整合的な方式として確立した。

対立は組織の分裂という形でも表れ、1905年に「ローマ字ひろめ会」(ヘボン式)、1921年に「日本ローマ字会」(日本式)がそれぞれ組織された。

訓令式の制定(1930-1937年)

1930〜1936年、文部省に「臨時ローマ字調査会」が設置され、鉄道省・商工省地質調査所は標準式(ヘボン式)、陸地測量部・水路部・中央気象台は日本式を支持するなど、官庁間でも方式が割れていた。1937年(昭和12年)、内閣訓令第3号により日本式を基礎とした「訓令式ローマ字」が公布され、ヘボン式を排除する形で統一が図られた。

戦後の展開

1945年9月、占領下のGHQが修正ヘボン式の使用を指令した。1946年にはGHQの要請で派遣されたアメリカ教育使節団報告書が、漢字・ひらがな・カタカナを廃止しローマ字のみとすることを勧告している。この勧告は1948年の日本人の読み書き能力調査による検証を経て実行には至らなかった。

1954年(昭和29年)には内閣告示第1号「ローマ字のつづり方」が出され、訓令式を「第1表」(基本)としつつ、ヘボン式・日本式を「第2表」(国際関係・従来の慣例で必要な場合)として認める、現在まで続く併存の形に落ち着いた。ヘボン式派・日本式派の団体は長く並立していたが、日本ローマ字会は2023年3月に会員減少により解散した。

漢字を廃止しラテン文字表記に一本化しようとする志向は、明治の羅馬字会から戦後の一部論者まで一貫しており、発音式仮名遣い運動やかな文字論と同様、表音主義的な国字改革の一形態として位置づけられる。国語調査委員会上田万年の国語国字問題との関わりも深い。

出典

作成日時: 2026-08-14 21:43 / 更新日時: 2026-08-14 21:55