狂歌と短歌の違い
結論
狂歌(きょうか)は、短歌と同じ五・七・五・七・七の31音形式を持つが、内容面で対照的な性格を持つ。
- 短歌: 和歌の一体で、抒情や自然美などを詠む真面目な詩形。
- 狂歌: 同じ五七五七七の形式を使いつつ、社会風刺・皮肉・滑稽(ユーモア)を主眼とする「短歌のパロディ版」。季語は不要。
つまり形式は同一で、目的・トーンが異なる、という関係。俳句と川柳の関係(同じ五七五でも川柳は滑稽・風刺寄り)と似た構図。
歴史
- 「狂歌」という言葉自体は平安時代まで遡るが、独自の文芸ジャンルとして発達したのは江戸時代中期から。
- 1767年、19歳の大田南畝(蜀山人)が『寝惚先生文集』を著したことが、狂歌が社会現象化する契機になった。
- 1769年に最初の狂歌会が開催された。
- 天明年間(1781〜1789年)に大流行し、「天明狂歌」と呼ばれる。
天明狂歌の三大家
- 大田南畝(おおたなんぼ、1749-1823) - 通称・四方赤良(よものあから)、狂歌アンソロジー『万載狂歌集』(1783年)を編纂
- 朱楽菅江(あけらかんこう、1740-1800)
- 唐衣橘洲(からころもきっしゅう、1743-1802)
他に、鹿都部真顔(しかつべのまがお)率いる「四方側」、宿屋飯盛(石川雅望)率いる「五側」という狂歌グループが競い合って隆盛した。
作品例
黒船来航(1853年)を風刺した狂歌として有名なもの:
泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず
お茶の銘柄「上喜撰」と、蒸気船(steamer)の数え方「杯」を掛け、幕末の社会不安をユーモラスに表現している。