北条氏綱

後北条氏2代当主。父・北条早雲(伊勢宗瑞)から家督を継ぎ、伊勢姓から北条姓へ改称した当主で、その意味で「後北条家初代」と扱われることもある。#戦国時代

家督継承

長享元年(1487年)、伊勢盛時(北条早雲)の嫡男として誕生。永正15年(1518年)、父の隠居により家督を継承した。

伊勢から北条への改姓

当初は父と同じ伊勢姓を称していたが、大永3年(1523年)6月から9月の間に北条姓へ改姓した(同年6月12日付の棟札銘では「伊勢」、同年9月13日の近衛尚通の日記『後法成寺関白記』では「北条」と記されていることから、この間と推定される)。関東とゆかりが深く、平氏の流れを汲む点でも共通する鎌倉幕府執権・北条氏の後継者を称することで、関東における領国支配を正当化する狙いがあったとされる(詳細は後北条氏参照)。

武蔵進出

  • 大永4年(1524年): 高輪原の戦いで扇谷上杉朝興を撃破。
  • 江戸城・河越城を攻略し、武蔵南部を制圧。
  • 天文7年(1538年): 第一次国府台合戦で小弓公方・足利義明を討ち取り、南関東における覇権を確立。

文化事業

鶴岡八幡宮の再建事業を主導し、天文9年(1540年)に上宮正殿が完成した。

遺言と没年

晩年、嫡男・氏康へ「勝って兜の緒を締めよ」を含む5か条の訓戒を遺した。天文10年(1541年)7月19日死去、享年55。

出典

作成日時: 2026-08-15 09:32 / 更新日時: 2026-08-15 09:32