後北条氏

戦国大名としての北条氏。鎌倉幕府の執権を務めた北条氏(前北条氏)と区別するため「後北条氏」「小田原北条氏」と呼ばれる。初代は北条早雲(伊勢宗瑞)#moc #戦国時代

鎌倉北条氏との関係

初代・伊勢宗瑞(北条早雲)は生涯「伊勢」姓を名乗り、「北条」を称したことはない。「北条」に改姓したのは2代目・氏綱で、大永3年(1523年)6月〜9月の間に「伊勢」から「北条」へ改称した(同年6月12日付の棟札銘では「伊勢」、同年9月13日の近衛尚通の日記では「北条」と記されていることから推定される)。詳細は北条氏綱参照。

改姓の理由について、研究者・黒田基樹は次のように指摘している。伊勢氏(後北条氏)は関東の旧勢力(扇谷上杉氏など)から見れば「他国から侵入してきた新参者」だった。相模の支配者としての正当性を得るため、かつて鎌倉幕府で執権を務め相模を本拠とした北条氏の名跡を継承する体裁を取った、というのがその見解。鎌倉北条氏を再興する意図があったわけではなく、権威づけのための名跡の借用だった。

血統上は直接の男系子孫ではない。ただし婚姻を介した系図上の接点はある。3代当主・氏康の妻である瑞渓院(今川氏親の娘)の家系を遡ると、「北条時政 → 娘の時子(足利義兼室)→ 足利義氏 → 吉良長氏 → 今川氏(歴代)→ 今川氏親 → 瑞渓院 → 北条氏政」という婚姻の連鎖を経て北条時政に行き着く。ただしこれは伊勢氏=後北条氏そのものの血筋ではなく、あくまで正室の家系をたどった場合の話。

五代の当主

  1. 伊勢盛時(北条早雲) 初代。伊豆・相模を平定し戦国大名の先駆けとなる。詳細は北条早雲(伊勢宗瑞)参照。
  2. 北条氏綱 2代。大永3年(1523年)に伊勢から北条へ改姓。
  3. 北条氏康 3代。河越夜戦で勝利し全盛期を築く。妻は瑞渓院(今川氏親の娘)。
  4. 北条氏政 4代。歴代最大の版図を築くが、小田原征伐で切腹。
  5. 北条氏直 5代。徳川家康の娘婿。小田原征伐で降伏し高野山へ。

滅亡

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐により滅亡。経緯の詳細は小田原征伐参照。

出典

作成日時: 2026-08-15 08:36 / 更新日時: 2026-08-15 10:21